「桜」
Fan Make Voice オリジナル作品
※転載禁止
※リレー朗読用にパート分けしています
1
小さな街の、小さな丘の上に、一本の桜の木がありました。
決して大きくはないけれど、毎年春になると、見事に花を咲かせるその桜は、街のみんなから「一本桜」と呼ばれて、誰からも好かれていました。
そして、その桜には、秘密がありました。
桜の下で願い事を言うと、叶えてくれるというのです。
でも、欲張りな願いや、人を陥れるような願いは、絶対に見抜かれて、叶わないというのです。
誰もが、桜の下で願い事を言うのですが、本当に願いを叶えられた者は、ごくわずか…。
それでも、願い事をせずにはいられない程、キレイな桜の木だったのです。
2
そんなある日、お父さんと一緒に、女の子がこの街へ引っ越してきました。
女の子の名前は「さくら」。
お父さんが、この一本桜のことを思い出しながら、春に産まれた女の子に、優しく育ってほしくて「さくら」と名付けたのです。
ただ、お父さんとさくらちゃんが、この街へ引っ越して来たのには、理由がありました。
さくらちゃんのお母さんが病気で亡くなったからです。
だから、お父さんは、さくらちゃんが少しでも寂しくないように、さくらちゃんのお祖父ちゃんとお祖母ちゃんがいる、この街へ戻って来たのです。
3
「いらっしゃい、さくらちゃん。首を長くして待ってたのよ。」
お祖母ちゃんは、優しくさくらちゃんを抱きしめてくれました。
「さくらちゃんが使う部屋は、きれいに掃除しといたからな。」
お祖父ちゃんは、ニコニコと笑いながら、さくらちゃんの頭を撫でてくれました。
でも、さくらちゃんの顔は曇ったまま…。
「さあ、ここがさくらちゃんの部屋よ。」
そう言ってお祖父ちゃんとお祖母ちゃんは、2階にあるさくらちゃんの部屋へ連れて行ってくれました。
広いベッドや棚もついている勉強机、かわいいチェスト、都会の団地暮らしにはなかった家具が、さくらちゃんの為に置いてあったのです。
でも、さくらちゃんの表情は晴れません。
「気に入らなかった…?」
お祖母ちゃんが尋ねると、さくらちゃんは首を横にちょっと振っただけ。
さくらちゃんは、この部屋が気に入らなかったわけでは、ないのです。
ちょっと、寂しくなったのです。
都会の団地で使っていた小さなテーブルは、お母さんと一緒にお絵描きしたり、おやつを食べたり。ちょっと開けづらくなってしまった引き出しには、そこがさくらちゃんの服の引き出しだと分かるように、お母さんが桜の花のシールを張ってくれていました。
思い出の詰まった家具がどこかへいってしまって、さくらちゃんは急に寂しくなったのです。
それに、この広い部屋で、これからは一人で寝なければならないかと思うと、どんどん寂しさがつのっていきました。
4
「さくらちゃん、あそこを見て。」
ふいにお祖母ちゃんが、窓の外を指差しました。
窓の外、遠くにうすいピンクの固まりが見えました。
「あれはね、一本桜っていうの。」
お祖母ちゃんは、一本桜が願いを叶えてくれる桜だと教えてくれました。
「なんでも、叶えてくれるの?」
「そうね、一生懸命に願いをいえば、叶えてくれるかもしれないわね。」
さくらちゃんの問いに、お祖母ちゃんは少しだけ困ったように答えました。
なぜなら、さくらちゃんの今一番の願いはなんなのか、知っているからです。
きっと…
「お母さんに、会いたい。」
それが、さくらちゃんの願いに違いないからです。
「近くへ行ってみましょうか。」
お祖母ちゃんの提案に、さくらちゃんは大きく頷きました。
桜の木の近くへ行って、お願いが出来ると思ったからです。
5
丘の上の桜の木は、細い枝にたくさんの花々を抱えて、満開を迎えていました。
うすいピンクの花びらが、見上げる人々を優しく見下ろして、微笑んでいるようでした。
あまりにきれいな満開の桜に、さくらちゃんも思わずうっとりしてしまいました。
ふわりと吹く風に花びらがホロホロとこぼれ落ちる姿は、小さなバレリーナたちがクルクルと踊っているようにも見えます。
そんな、花びらをさくらちゃんは夢中で追いかけました。
地面ギリギリで落ちてくる花びらをつかまえたり、かき集めた花びらに息を吹きかけて小さな花吹雪をつくったり、敷き詰められた花びらを踏まないようにけんけんで飛び跳ねたり…。
かけまわり過ぎて思わず転んでしまったさくらちゃんでしたが、柔らかな花のじゅうたんが受け止めてくれたので、スリキズひとつ負うことはありませんでした。
残念ながら、楽しい一時はあっという間。
頬を冷たい風がなでた時。お祖母ちゃんは、家へ帰ろうとさくらちゃんに手を伸ばしました。
6
そして、家に帰り着いた瞬間。さくらちゃんは桜の木にお願いをしていなかったのを思い出したのです。
「もう、日も暮れたから、また明日行けば良いじゃない。」
お祖母ちゃんに言われて、さくらちゃんはうなづくしかありませんでした。
更に、もう一つ、お母さんが作ってくれた桜のピン留めを失くしてしまったのです。
「きっと、桜の木が預かっててくれるわよ。」
そう言ってお祖母ちゃんは、泣きそうになっているさくらちゃんの頭を撫でてくれました。
その夜は、さくらちゃんの落ち着かない心を現すように、強い風が吹き荒れたのです。
翌朝、さくらちゃんが見上げた桜の木は、昨日の満開が噓のように、花びらが散ってしまって見る影もありません。
「これじゃ、願いが叶わないかも…。」
美しく咲き誇った桜は自信に溢れ、何でも願いを叶えてくれそうでした。でも、風に散らされて、所々にしか花が残っていない桜では、とても願いを叶えてくれそうには、見えなかったのです。
それでも、一縷の望みをかけて、小さな両手で桜の幹に触ると、さくらちゃんは一心に願いました。
「お願いです。ママに、会わせてください。」
こちらを見下ろしている桜の花の一房が、さくらちゃんの気持ちよりもっと不安げに風に震えていました。
7
一日が終わり、一週間が過ぎ、一ヶ月が経ちました。
桜の木はすっかり葉桜になり、青々と茂っています。
まるで、さくらちゃんの願いを忘れてしまったかのように…。
「必ず願いを叶えてくれるわけじゃないのよ…。」
励ますように肩を叩くお祖母ちゃんに、さくらちゃんは悔しそうに桜を見上げました。
「嘘つき!」
それから、毎年のように桜は咲き、人々の心を和ませています。
けれど、あの日以来、さくらちゃんは桜の木を訪れようとしませんでした。
「さくら、入学式に遅れるよ!」
桜が満開を迎えた頃、さくらちゃんは中学校に入学したのです。
あれから数年、広かった部屋には所狭しと中学校の物が置かれ始めていました。
かわいい普段着の中に中学校の制服がかかり、ランドセルが姿を消した代わりに学生カバンが勉強机に置いてありました。そして、小さな鏡台がベッドの近くに鎮座しています。
もうすっかり、自分の部屋で一人で寝る事にも慣れてしまいました。
中学校の入学式も終え、お祝いにお祖母ちゃんの手料理で満腹になったさくらちゃんは、お風呂もそこそこにすっかり眠りについたのです。
8
微かに香る、花の匂い。
気がつくと、ベッドカバーの上に桜の花びら散っていました。
窓が開いてもいないのに、カーテンがふわふわと舞い上がっています。
窓から外を伺うと、空にかかった月が、満開の桜をぼうっと浮かび上がらせていました。
まるで、誘い出すように、桜の花びらが桜の木まで続いていたのです。
花びらに導かれるように、さくらちゃんが、桜の木の元にたどり着くと…。
初めて見た時と同じように、薄いピンクの花びらが咲き誇っています。
そして、月の力を借りるように、一層白く輝いていて、とてもキレイでした。
「キレイ…。」
思わず口から言葉が漏れてしまいます。
すると、木の影から一人の女性が現れたのです。
「ママ…。」
それは、紛れもないお母さんの姿でした。
抱きついてしまったら、消えるのではないかと思い、触れられずにいると…。
お母さんの方から、さくらちゃんを抱きしめてくれたのです。
「ごめんね。待たせてしまって…。」
さくらちゃんは何度も頭を振りました。するとお母さんは、乱れたさくらちゃんの髪を細い指で整えてくれました。
その前髪に、失くしていたはずの桜のピン留めをさしてくれたのです。
「もう、失くさないでね。」
そう言った、お母さんの体からはほのかに桜の花の匂いがしました。
9
目が覚めると、お母さんの姿はなく、さくらちゃんはベッドの中でした。
夢の中でお母さんと会えたという喜びと、夢の中だったという失望にも似た気持ちが混ざり合って、複雑な気持ちでした。
少し残念な気持ちを引きずりながら体を起こすと、ベッドカバーの上には桜の花びらが散っていたのです。
よく見ると、部屋のそこここに、桜の花びらがパラパラと散っています。
そして、鏡台の上には、あの日桜の木の近くで失くしたはずの、桜のヘアピンが置いてあったのです。
「夢だったのかな…。」
現実とも言いきれない、狐につままれたような感じに、さくらちゃんは思わず笑みを浮かべました。
そして、一つだけ心に決めた事があります。
今度、桜の木に会いに行って「ありがとう」と伝えようと決めたのです。