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FMVブログ【1th】”アノ悩み”に沼ってから、44年が過ぎていた

【1th】”アノ悩み”に沼ってから44年が過ぎていた

1,何者かになりたい

3年前、私には何かを成し遂げたいという情熱だけがあって、

その目標や方法や思考がわからずにいました。感情をコントロールすることに苦労していました。

今でこそ、繊細さん、ADHD、エンパスなど感性に関する研究が進み、書籍なども多く出版されていて

関心度が高く、一般に認知されつつあるのではないかと思いますが、

でもほんのちょっと前までは、とても苦労し、苦しい時期でした。

そんなとき、「感じる力は才能です。」というストレングスファインダの一文が私を変えました。

それまで、感情をコントロールすることができずにうまく行かないことがたくさんありました。

このとき、わたしが求ていたことは

「自分の強みを見つけて自分の能力を活かしたい」

ということでした。
何ができるかわからない。
何をしたらいいかわからない。
そんか中で「〇〇といえば〇〇さん」と言われるような自分の能力を活かす何かを見つけることが

わたしの夢でした。

その中で掴んだ心の成長が3つあります。
それは、また後でお話しすることにして

音声アーティストとして、音声と出会うきっかけや経緯、自分の課題を先にお話したいと思います。

2,少しだけ私の話をしますと

私の仕事は

ブランド商品の接客業です。

対面の人と接することが好きです。

同じ対面でも自分から積極的に行くような

営業職は苦手で、相手が来てくれて自分の提案が役に立ち先方に喜ばれる

そのような仕事にやりがいを感じていました。ですがそこでは思うような評価は得られませんでした。

また、ナレーションの仕事との共通点を考えると自分の言葉で伝える。ということを長い間にしていて、今の音声の役にたっているなと思いました。

もう少しさかのぼって、音声にまつわる共通点を考えてみると

高校で合唱部り入り、大学では放送研究会で放送劇や、番組のMC、その当時珍しかったビデオドラマ制作のロケ、それからご縁がありウグイス嬢などの声にまつわる経験がいまにつながっているのではないかと思います。

3、SNSラジオとClubhouseで〇〇が一変した

そして、2年前コロナ禍のなかでラジオ配信の面白さに出会い

音声配信がブームとなっていたtwitterラジオやPeriscopeで配信しました。

朝の5時40分から30分半年以上、1人で話しました。

コロナ禍だったからこそ、ラジオで仲間と楽しめたのだと思います。

その後、リスナーさんを増やすために勉強が必要だと思い、一時期お休みしていました。

それから、アメリカや日本で一世を風靡したクラブハウスでまた、音声配信をはじめました。

でも、うまくいかなかったんです。

ジャンルが雑談、ホストが一人、専門性がない。

クラブハウスで一人でガッンバって50人以上を集めている部屋というは

どんなところかを探していたら、ナレーターさんやアナウサーさんがやっている朗読やレッスンの部屋だったんですね。

その中で朗読は、これなら一人で自分にもできると思い

幾つかの部屋へ行きました。
その中でまりりん先生(林真梨子先生)に出会い朝の朗読リレーの部屋に参加するようになりました。

そして、ボイスレッスンを受けることになりました。

このように積極的に行動できたのは

人生のメンターとお呼びしている方が
きちんと習うように後押ししてくれる言葉をくれたからです。

自分の部屋はうまく行かなかった、クラブハウスですが、そのなかでつちかってきたこころの学びが、その後も役に立ち、新たな閃きをもらうことができました。

4,3つの心の成長

わたしがいま

音声をかいしてキラキラした現実を手に入れられたのは

「自分を責めない」
「失敗はない」
「行動する」やらないよりやったほうがいい。やれば次にやることが見えてくる

このことを知ったからです。

もともと

今思えばコミュニケーションが得意ではありませんでした。

自分でおもうのは感性が豊かな分

複雑な心情や心理をすぐに言葉にできなかったり

伝える努力に意識がなかったりしたからです。

それに雑談が苦手です。
相手に合わせて疲れてしまい、嫌だったんです。

感覚派でなので、説明や実務が苦手です。

正確にすることが少し苦手で、

他の人から見ると誤解されてしまいます。簡単なことを間違えるので

付け入る隙をつくり、マウントを取られ嫌な思いをする原因ではないかと思っています。

現実の仕事では、そんなギスギスがいやでした。

ですが、声のレッスンを受け、好きなことに打ち込むことで、また別な居場所を

音声アーティストに見つけられたことは

精神的に追い詰められなくなりました。

自分を活かす場所が

仕事以外にできたことは、わたしの人生を大きく変えました。

5,新しい居場所

仕事はその会社を去ってしまえばどんな実績も過去の栄光で、所属していたからこそですが、

声は磨けば磨くほど

自分を認めてくれる人や

このようなわたしでいいという方と出会わせてくれます。

何より、自分の能力が認められ、喜ばれ、感謝され、役に立つことができ

それがお金という価値に変わるということが特別のように思えて羨ましかった、わたしの夢を叶えてくれました。

そしてわたしの人生を変えてくれました。

私をそのような場所につれていってくれたのは

「ちよかまといえば、音声アーティスト」

という代名詞です。新しい居場所と強みを活かす場所を作ることができました。

これまで、出会ってくださった皆さまに感謝しています。

ちよかまのFMVブログ『44年間 自分を活かせなかった私が 人に認められる能力を発見できたワケ』はFMVメンバーちよかまが綴る、実体験に基づくエッセイです。

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