参加型SNS『目覚めのリレー朗読』&『朗読原稿』

フィトンチットの森

オリジナル作品

※転載禁止

 1

それは満月の夜、森の奥から、どこからともなく聞こえてくる声がありました。

「フィトンチッド…、フィトンチッド…、フィトンチッド…。」

思わずその声につらるように、うっすらと霞がかかる木々の間に目を凝らすと、小さな少年がダンスを踊っているように見えました。

月明かりに照らされた少年の姿は、黄緑がかった金色の髪に、木の皮のマントをまとった不思議な格好をしていたのです。

呪文のような言葉を唱えながら、大きな切り株の周りをダンスするように回っています。

「フィトンチッド…、フィトンチッド…、フィトンチッド…。」

「ねえ、なにしてるの?」

「おわっ!人間だ!」

思わず声をかけると、少年はビックリしたように飛びのきました。

「確かに私は人間だけど、君は人間じゃないの?」

木の陰に隠れてしまった少年に言葉をかけると、そうっと首を出してきたのです。

「ボクは誉れ高い木の精霊の末裔だ!」

木の精霊だと名乗る少年を、私はマジマジと見てしまいました。

確かに木の皮の模様をした変なマントは着ているけど、体から枝が生えているわけもなく、頭が苔むしている様子もありません。

私たち人間と同じ姿に見えたのです。

ただ、月に照らされた瞳が青緑色にキラキラと輝いて、吸い込まれそうでした。

「その木の精霊が、ここで何をしているの?」

「森をきれいにするための練習だ。」

不思議なことを言う少年に、よく話を聞くと…。

森の中は、動物のウンチやオシッコの臭い、そして動物が死んでしまったらその死体の臭いなど、様々な臭いであふれているというのです。

それに、木に悪い影響を与える虫や小さな微生物も潜んでいるらしいのです。

それをそのままほったらかしにしたら、森はくさい臭いで充満し、木々が枯れてしまうと、少年は訴えました。

そこで、木の精霊たちはフィトンチッドという魔法を使って、森の中を澄み切った空気にしようと、毎日毎晩努力しているというのです。

「ボクは、まだまだ若いので、フィトンチッドを上手く操れない。だから、こうやって毎日練習しているのだ。」そう言って少年は大きな切り株の上に飛び乗ると、両腕で月の光を掴もうとするかのように手を高く伸ばし、呪文を唱え始めました。

「フィトンチッド…、フィトンチッド…、フィトンチッド…。」

すると、少年の腕に中に煙のようなモヤのようなものが集まり始めたのです。

やがてそれは次第に大きくなり、少年の頭と同じくらいの大きさになりました。

「フィトンチッドー!」

少年は大きな声で叫んで、その塊を空に放り投げました。

でも…、何も起こりません。

その塊が消えただけで、何も起こらなかったのです。

「やっぱり、ボクじゃダメなんだ。」

がっくりと項垂れる少年に、私は尋ねました。

「本当はどんな魔法が起きるはずだったの?」

すると少年は、座っていた大きな切り株をそっと撫でて言いました。

「この切り株の精霊がまだ元気だった頃、その魔法を見たことがあるんだけど…。」

この切り株の主は大きなヒノキの木で、数百年も生きていた木の精霊だったそうです。

大きなヒノキの木の精霊が手を広げると、この森の隅々まで枝が届き、巨大なフィトンチッドの塊が森を包んで、淀んだ空気をけちらし悪臭を一掃したそうです。

すると森の空気は清らかに澄んで、とっても落ち着いた気持ちになれたとか。

でも、そのヒノキの精霊は、大きな嵐から森の若い木々を守るために風雨に立ち向かい、力尽きて倒れてしまったというのです。

切り株は根元からぼっきりと折れた姿のままで、激しい風雨と闘った生々しい跡が今でも残っていました。

「だから、ボクはその後を継いで、フィトンチッドの魔法で少しでも森を守ろうとしているんだけど…。上手くいかないんだ…。」

少年は悲しく呟きました。

「私が手伝ってあげる!」

思わず私はそう叫んでいました。

「人間にそんなことができるのか?」

「木の精霊が魔法を使えるんだから、人間だって勉強すればなにかできるわよ。」

なにが手伝えるのかまったく考え付きませんでしたが、あまりにもしょんぼりしている少年の姿に、私もなにか手伝ってあげたくなったのです。

こうして、私は次の夜も少年と会う約束をして、家へ帰りました。

次の日の夜、森へ出かけると、あの切り株の近くで少年が待っていました。

「もっと、力強く叫んだらどうかしら?」

「力強く?」

少年があまりにもキョトンとしてるので、私は見本を見せることにしました。

呼吸を整え、自分の両腕を胸の前で回して、そこにエネルギーがたまっていくようなイメージを脳裏に描きました。

そして、呪文とともに両腕を前に勢いよく突き出したました。

「フィトン、チッド、波―!」※カメハメ波風

振り返ると、少年はビックリした顔をしていました。

「それは…、魔法というより、必殺技みたいだ…。」

「文句はいいから、やってみて!」

私と同じような動きを少年は何度か繰り返しましたが、ちっとも魔法は発射されません。

また、次の日の夜。

「魔方陣をかいたらどうかしら?」

「魔法陣?」

「円の中に不思議な文字や記号をかいて、魔法を発動するの。」

「それは、すごい!フィトンチッドはどんな魔方陣で発動するんだ?」

「そんなの、私は知らないわ。」

またまた、次の日の夜。

「魔法の杖を使うのはどうかしら?」

「魔法の杖?」

「不思議な力が飛び出しそうな…、木の杖とか持ってないの?」

「そんな物は持っていない。」

「じゃあ、そのへんに落ちている枝を使ってみましょう。」

私は切り株の近くに落ちていた腕の長さほどの枝を拾って、夜空に向けて叫びました。

「フィトンチッド、パトローナム!」

「なにか違う呪文が混ざっていたぞ…。」

「雰囲気よ、雰囲気!」

首をひねる少年に無理やり枝を渡し、魔法を出させようとしました。でも、どれも上手くいきませんでした。

そして、ある日の夜。

「きょうは、お別れを言いに来たの。」

そう切り出した私に、少年は悲しそうな表情を浮かべました。

「それは、ボクがいつまでたっても魔法ができないからか?」

「違うよ。都会の親戚の家へ行かなくちゃならないの。」

「行くなよ!いつまでも、この森の近くにいればいいじゃないか。」

「それは、できないの。」

少年は残念そうな悔しそうな顔で私を睨みつけました。

「あの夜、どうして私が、この森に来たかわかる?」

少年と初めて会った夜、私はその日、私を育ててくれたお祖母さんを亡くしてしまったのです。

幽霊でもいい、なんでもいいから、もう一度お祖母さんに会いたかった。

お祖母さんに会って、私も連れていって欲しいと言うつもりだったのだ。

だって、一人ぼっちはとても寂しいもの。

「そしたら、君に会ったの。」

一所懸命に魔法を練習する姿に、私も頑張らなくちゃいけないって思ったの。

お祖母さんを亡くして悲しみでいっぱいだった心に、温かい気持ちが流れ込んできて、毎晩、少年に会うたびに楽しくて、いつも時間を忘れてしまうくらいだった。

いつの間にか、お祖母さんが亡くなって傷ついた心が癒されて、次へ進もうと思う気持ちが湧いてきたのだ。

「ありがとう。君はもう立派に人を癒す力を持ってるよ。」

少年の青緑色の瞳からいまにも涙がこぼれ落ちそうでした。

「だから、最後にもう一度、魔法を見せて。」

少年はグイッと涙をぬぐうと、すっくと姿勢を正しました。そして、ヒノキの切り株の上に飛び乗ると、深い深呼吸をひとつ。

目を見開き、天空にかかる満月を睨みつけ、集中するように目を閉ざしました。

「フィトンチッド…、フィトンチッド…、フィトンチッド…。」

少年の小さな呟きに導かれるように、徐々にモヤが集まり始めます。

「フィトンチッド…、フィトンチッド…、フィトンチッド…。」

羽を広げるように徐々に腕を上げていくと、周りの空気が震えるように少年の体にまとわりつきはじめました。

「フィトンチッド…、フィトンチッド…、フィトンチッド…。」

やがて、空気の塊が少年の体を包み込むように渦巻き始めます。

「フィトンチッドー!」

少年の掛け声とともに、空気の渦は夜空を駆け上り、森の上空ではじけました。

そして、はじけた空気の中からキラキラとした球が飛び出し、淀んだ森の空気を切り裂くように四方八方へ飛び跳ね、はしりました。

やがて、あたりはシンと静まり返ったのです。

大きく深呼吸をすると、胸の中に清らかな空気が充満して、体の中までキレイにしてくれるようでした。

思わず私は、切り株の上の少年を振り返ったのですが、そこには誰もいなかったのです。

10

翌朝、都会へ行く前に森を訪れると…。

大きなヒノキの切り株の近くに、一本の若い木が伸びていました。

太陽の光に照らされて輝いてるその木は、まっすぐに空へ向かって枝を伸ばし、青々と葉っぱが生い茂っていました。

まるでその姿は、森全体に魔法をかけているかのように見えました。

もし、あなたが夜の森へでかけることがあったら、良く耳をすましてみてはどうでしょう。

森の奥から不思議な声が聞こえるかもしれません。

「フィトンチッド…、フィトンチッド…、フィトンチッド…。」

※リレー朗読で使ったため、便宜上パート分けしています

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